社会 第2章
歴史
要点編
古代〜中世(中1進度。近現代中心にしない)
ここは参考書パート(要点編)です。市販参考書と同じく「読んで理解 → 例題で流れを追う → チェック」の順で進めてください。理解チェックができたら問題編へ。
① この章のねらい
歴史は年号を並べる学習ではなく、社会の課題に対して誰が何を行い、何が変わったかを追う学習である。中1では旧石器・縄文・弥生時代から、大和政権、聖徳太子・大化の改新、律令国家、平安の摂関政治、武士の成長と鎌倉幕府、元寇、室町幕府と応仁の乱までの古代〜中世を一本の軸でつなぐ。史料は書かれた時代、作成者、目的を意識して読む。
- 時代区分を古代〜中世の中で説明できる
- 大和政権の広がりを古墳の分布と結び付けられる
- 聖徳太子・大化の改新の内容を説明できる
- 律令国家のしくみ(班田収授・租庸調)を説明できる
- 摂関政治と執権政治の違いを説明できる
- 鎌倉幕府の主従関係(御恩と奉公)を説明できる
- 元寇と室町幕府・応仁の乱の流れを説明できる
- 年表は左(上)が古い時代、右(下)が新しい時代という順番で書かれることが多い。
- 年号を覚えていなくても、出来事の前後関係(どちらが先に起きたか)が分かれば年表は読み進められる。
② 重要ポイント(本文)
1.歴史の見方
歴史は原因、出来事、結果の順に整理する。人物名や年号は、このつながりの中に置く。政治、社会、対外関係を別の出来事として切り離さない。
2.旧石器・縄文・弥生時代
旧石器時代は打製石器を使い、狩猟・採集で移動しながら生活した。縄文時代は縄文土器・竪穴住居・貝塚が特徴で、狩猟・採集・漁を中心とした。弥生時代には稲作が広がり、青銅器・鉄器などの金属器が使われ始め、「むら」から「くに」へと社会が発展した。
3.邪馬台国と大和政権
3世紀の倭には多くの「くに」があり、邪馬台国の女王卑弥呼は239年に魏へ使いを送ったと「魏志」倭人伝に記されている。3世紀後半には奈良盆地を中心とする大和政権(ヤマト王権)が勢力を広げ、各地に前方後円墳などの古墳がつくられた。
4.聖徳太子と大化の改新
593年に摂政となった聖徳太子は、603年に冠位十二階、604年に十七条の憲法を定め、607年には遣隋使(小野妹子)を送り、天皇中心の国づくりを進めた。645年には中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を倒し、大化の改新と呼ばれる政治改革を始めた。
5.律令国家と奈良時代
710年、都は平城京(奈良)に移された。律令に基づき、戸籍をもとに口分田を与える班田収授法や、租・庸・調などの税のしくみが整えられた。752年には聖武天皇のもとで東大寺の大仏が完成した。
6.平安時代と摂関政治
794年、都は平安京(京都)に移された。894年には菅原道真の提案で遣唐使が停止された。藤原氏は天皇の外戚としての立場を生かし、摂政・関白の地位を独占して摂関政治を行い、1016年に藤原道長が摂政となった時期がその最盛期とされる。平安時代後半には地方の武士が力をつけ、平氏が政治の中心に進出した。
7.武士の成長と鎌倉幕府
1185年、平氏が滅び、源頼朝は国ごとに守護、荘園・公領ごとに地頭を置く権利を認められた。1192年、頼朝は征夷大将軍に任命された。鎌倉幕府は、将軍が御家人の領地を保護する「御恩」と、御家人が軍事的な奉仕を行う「奉公」による主従関係で成り立っていた。頼朝の死後は、北条氏が執権として実質的に政治を動かした(執権政治)。
8.承久の乱と元寇
1221年、後鳥羽上皇が幕府を倒そうとして起こした承久の乱は幕府側の勝利に終わり、幕府の力が全国に広がった。1274年(文永の役)と1281年(弘安の役)の二度、元(モンゴル)が日本に襲来した(元寇)。このときの執権は北条時宗である。元寇後、御家人の生活は苦しくなり、幕府は1297年に永仁の徳政令を出したが効果は一時的で、1333年に鎌倉幕府は滅亡した。
9.室町幕府と応仁の乱
鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇と足利尊氏が対立し南北朝時代となった。1338年、足利尊氏は征夷大将軍となり室町幕府を開いた。1392年、3代将軍足利義満のもとで南北朝が統一された。8代将軍足利義政の後継ぎ争いなどをめぐり、1467年に応仁の乱が起こり、以後、実力のある者が上の身分を倒す下剋上の風潮が広がって戦国時代へ向かった。
10.史料の読み方
史料を読むときは、誰が、いつ、何のために書いたかを確認する。年表や他の史料と照らし合わせ、前後関係を確かめる。書かれた内容を無批判に事実と決めず、立場や目的による偏りも考える。
11.文化と社会
文化は政治や社会、宗教、海外との交流と関係して生まれる。飛鳥文化(仏教伝来と寺院建築)、天平文化(東大寺大仏、「万葉集」)、国風文化(かな文字、「源氏物語」「枕草子」)、鎌倉の武家文化、室町の北山・東山文化(金閣・銀閣、能・水墨画)を、担い手と時代の社会とともに覚える。
12.民衆と武士の生活
歴史の変化は天皇や貴族、将軍だけでなく、農民や武士など多様な人々の生活とも関わる。荘園における年貢の負担や、鎌倉・室町時代の武士の暮らし(武芸の重視、分割相続など)は当時の社会を映す。資料では誰の立場が表れているかを確認する。
13.対外関係の変化
古代〜中世の日本は、中国・朝鮮半島との交流を通じて制度や文化を取り入れた(遣隋使・遣唐使など)。894年の遣唐使停止後は独自の文化(国風文化)が発展した。元寇(1274・1281年)のように、対外関係が国内の政治・社会に大きな影響を与えることもあった。
14.歴史的な問いの立て方
歴史資料を読むときは、何が起こったかだけでなく、なぜその記録が残されたかを問う。史料や絵図は作成時の目的や対象に注意する。複数の史料を比べることで見え方の偏りを確かめられる。根拠と解釈を分けて記述する。
③ 公式・用語
| 名称 | 内容 | メモ |
|---|---|---|
| 中1で学ぶ時代の軸 | 旧石器 → 縄文 → 弥生 → 古墳 → 飛鳥 → 奈良 → 平安 → 鎌倉 → 室町 | — |
| 年数の求め方 | 新しい年 − 古い年 = 経過年数 | — |
| 聖徳太子の政治 | 593年 摂政 → 604年 十七条の憲法 → 607年 遣隋使 | — |
| 鎌倉幕府の成立 | 1185年 守護・地頭の設置 → 1192年 征夷大将軍 | — |
| 元寇 | 1274年 文永の役 → 1281年 弘安の役 | — |
用語集
| 用語 | 意味 |
|---|---|
| 律令 | 天皇中心の国家を運営するための制度・法律。 |
| 班田収授法 | 戸籍に基づき口分田を人々に与えた制度。 |
| 摂関政治 | 藤原氏が摂政・関白として行った政治。 |
| 執権 | 鎌倉幕府で将軍を補佐し実権を持った地位(北条氏)。 |
| 御恩と奉公 | 将軍が御家人の領地を保護し、御家人が軍事奉仕する主従関係。 |
| 守護・地頭 | 守護は国ごとの軍事・警察、地頭は荘園・公領ごとの管理を担った。 |
| 元寇 | 1274年・1281年の二度にわたる元(モンゴル)の襲来。 |
| 下剋上 | 実力のある者が上の身分の者を倒して地位を奪う風潮。 |
| 一次資料 | 出来事の当事者や同時代に作られた資料。 |
| 一次資料 | 出来事の当事者や同時代に作られた資料。 |
| 因果関係 | 原因と結果のつながり。 |
④ 解法・読み方の手順
因果で覚える手順
- 前の社会の課題を一文で書く。
- 政策・事件の主体と内容を書く。
- 政治・社会・対外関係への結果を書く。
史料読解の手順
- 作成者、時期、形式を確認する。
- 誰に向け、何を伝える資料か考える。
- 年表や他資料で前後関係を確かめる。
年表整理の手順
- 時代の区切りを先に置く。
- 政治・対外関係・社会を同じ横軸に書く。
- 出来事を原因と結果の矢印で結ぶ。
根拠付き記述の手順
- 問いの対象・時期・地域を確認する。
- 資料から直接読める数値や事実を一つ示す。
- 比較と既習事項を使い、断定の強さを調整して結論を書く。
古代〜中世史の因果確認手順
- 出来事の前後にある課題を年表で確認する。
- 政策や事件の主体(誰が・どの地位で)を明示する。
- 国内の政治・社会と対外関係を分けて整理する。
- 史料は作成者の立場を示してから事実と意見を分ける。
⑤ 図解
旧石器 → 縄文 → 弥生 → 古墳(大和政権) → 飛鳥(聖徳太子・大化の改新)→ 奈良(律令国家) → 平安(摂関政治・武士の成長)→ 鎌倉(執権政治)→ 室町(応仁の乱)
593 聖徳太子が摂政 → 604 十七条の憲法 → 645 大化の改新 → 710 平城京 → 794 平安京
1185 平氏滅亡・守護・地頭 → 1192 鎌倉幕府 → 1221 承久の乱 → 1274・1281 元寇 → 1333 幕府滅亡 → 1338 室町幕府 → 1467 応仁の乱
⑥ 例題(読んで流れを追う)
ここは「解く」より「途中式と根拠を追う」ための例です。演習は問題編で。
593年に摂政となり、十七条の憲法を定めた人物は誰か。
考え方・途中式
冠位十二階・十七条の憲法・遣隋使を通じて天皇中心の国づくりを進めた。
答え:聖徳太子
645年に中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我氏を倒して始めた政治改革を何というか。
考え方・途中式
蘇我氏を倒し、天皇を中心とする中央集権化を進めた改革である。
答え:大化の改新
1192年に征夷大将軍となり、鎌倉幕府を開いた人物は誰か。
考え方・途中式
1185年の守護・地頭の設置と合わせて覚える。
答え:源頼朝
1274年・1281年の二度にわたる元(モンゴル)の襲来を何というか。
考え方・途中式
文永の役(1274)・弘安の役(1281)。執権北条時宗のときの出来事。
答え:元寇
1467年に起こり、下剋上の風潮を広げるきっかけとなった戦乱は何か。
考え方・途中式
8代将軍足利義政の後継ぎ争いをめぐり守護大名が対立し、戦国時代へ向かった。
答え:応仁の乱
二つの資料に同じ傾向があるだけで因果関係を断定できない理由を答えなさい。
考え方・途中式
資料A・Bの傾向を確認→対象年・地域を照合→第三の要因や追加資料を検討→「関係する可能性」と表現する。
答え:他の要因が両方に影響している可能性があり、同時に変化する相関だけでは原因と結果を示せないため。
⑦ 模試・定期テストでの使い方
外部過去問(JS88・リセマム等)の使い分けは過去問・外部資料ガイドを参照。
- 年号は前後の出来事とセットで覚える。
- 年表は「古代(奈良・平安)→中世(鎌倉・室町)」の順で並べる。
- 史料問題は「誰が、いつ、何のために」を確認する。
- 人物名だけでなく、その人物が担った地位(摂政・執権・将軍など)を問う。
- 記述は原因と結果を接続詞で結ぶ。
- 同じ「幕府」でも鎌倉と室町の将軍・体制の違いを区別する。
- 記述の根拠には資料中の数値・用語・位置を一つ以上用いる。
- 「増加した」だけでなく、いつ・何と比べてを明記する。
- 005net歴史用語集で古代〜中世の流れを確認。
- ⑤=005net用語 ⑥=005net選択 ⑦=資料読解+記述(本アプリ)
⑧ よくあるミス
- 1185年と1192年の鎌倉幕府成立の位置づけを混同する。
- 摂関政治(藤原氏・摂政関白)と執権政治(北条氏・執権)を混同する。
- 大化の改新(645年)と大宝律令・平城京(8世紀)の順序を逆にする。
- 元寇の文永の役と弘安の役の順序を逆にする。
- 応仁の乱を鎌倉時代の出来事と誤る。
- 御恩と奉公の向き(誰が誰に何をするか)を逆にする。
- 史料を事実そのものとして無批判に扱う。
- 年号だけで歴史を説明し、原因・結果を書かない。
- 一つの出来事を単一の原因で断定する。
- 資料の作成時点や対象地域を確認せず比較する。
- 推測を資料から直接読める事実のように書く。
⑨ 理解チェック
口頭でもノートでもよいので、全部言えたら問題編へ。
- 時代区分(旧石器〜室町)を順に言える
- 大和政権と古墳の関係を説明できる
- 聖徳太子の政治の内容を言える
- 大化の改新の内容を言える
- 律令国家のしくみ(班田収授・租庸調)を言える
- 摂関政治の基盤を説明できる
- 鎌倉幕府の御恩と奉公を説明できる
- 執権政治を説明できる
- 元寇の年と結果を言える
- 室町幕府の成立と応仁の乱を言える
- 史料の読み方を説明できる
- 資料の出典と対象を確認できる
- 事実と推測を分けて記述できる