解説編

セクション名をタップ=完了/解き直し。「もう一度解く」で白紙再挑戦。

社会 第2章

歴史

解説編

古代〜中世(中1進度。近現代中心にしない)

解説編 — 途中式を省略せず確認。わかったら問題編で白紙再挑戦して定着。

① 導入

年号は「出来事の位置」を取る道具にすぎません。間違えた問題があっても気にしなくて大丈夫です。 この解説編では、それぞれの出来事の前後関係と因果を一つずつ確認していきます。

② 基本概念

問題編の基本概念を参照してください。特に「大化の改新→律令国家(奈良時代)」「摂関政治→武士の成長→鎌倉幕府」 「鎌倉幕府(執権政治)→元寇→幕府の衰退→室町幕府→応仁の乱」という3つの大きな流れをつなげて覚えましょう。

③ 図解

問題編の年表を、特に593・645・710・794・1192・1221・1274・1281・1333・1338・1467の年号を中心に暗唱できるまで繰り返しましょう。

④ 例題 解説

例1 593年に摂政となった人物

聖徳太子(厩戸皇子)。冠位十二階(603年)、十七条の憲法(604年)、遣隋使(607年)を通じて、天皇中心の国づくりを進めた。

例2 645年の政治改革

大化の改新。中大兄皇子と中臣鎌足が、大きな力を持っていた蘇我氏を倒して始めた。

例3 1192年に征夷大将軍となった人物

源頼朝。1185年に平氏を滅ぼし、守護・地頭を置く権利を得たことも合わせて覚える。

例4 593年から645年までの年数

645 − 593 = 52年

なぜ:年号どうしの引き算で「何年後か」を求められる。この計算は年表問題で頻出。

⑤ 基本問題 解説

1 【小学校の復習】年表で時間が流れる方向

正解 a。年表は、ふつう古い時代から新しい時代へ(左から右、または上から下)に進むように書かれる。この向きが分かれば、年号を覚えていなくても出来事の前後関係を読み取れる。

2 【小学校の復習】593年と1192年、先に起こった出来事

正解 a(593年)。数字が小さいほど古い年である。593年(聖徳太子が摂政)は1192年(源頼朝が征夷大将軍)より599年も前の出来事。

3 縄文時代の特徴

正解 a。律令・戸籍は奈良時代、将軍と御家人は鎌倉時代、南北朝は室町時代の内容。

4 邪馬台国の女王

卑弥呼。239年に魏へ使いを送ったことが「魏志」倭人伝に記されている。

5 大和政権の広がりを示す古墳の形

前方後円墳

6 710年に都が移された場所

正解 b(平城京)。平安京は794年、鎌倉・室町は幕府の所在地。

7 律令国家の税

a, b, c(租・庸・調)。執権は鎌倉幕府の役職で税ではない。

8 1192年に征夷大将軍となった人物

源頼朝

⑥ 標準問題 解説

9 摂関政治の基盤

正解 a。資料Bのとおり、藤原氏は天皇の外戚(親戚)としての立場を生かして摂政・関白を独占した。

10 摂関政治の最盛期を築いた人物

藤原道長(1016年に摂政)

11 遣唐使停止を提案した人物

菅原道真(894年)

12 1221年に後鳥羽上皇が起こした戦い

承久の乱。幕府側が勝利し、幕府の力が西日本にも広がった。

13 御家人の軍事的な奉仕

正解 b(奉公)。将軍が領地を保護する「御恩」に対し、御家人が軍事奉仕する「奉公」で主従関係が成り立つ。

⑦ 応用・実力テスト形式 解説

14 文永の役と弘安の役の間の年数

1281 − 1274 = 7年

15 元寇後に出された御家人救済の法令

永仁の徳政令(1297年)。御家人の借金を帳消しにしようとしたが、効果は一時的であった。

16 元寇が御家人の負担となった理由

【模範解答例】「御家人は防衛のために戦ったが、外国との戦いのため新たな領地を得にくく、恩賞が不十分で経済的な負担だけが残った。」(約55字) 「防衛」のために戦ったこと、「恩賞(新たな領地)」が得にくかったことの両方に触れられていれば正解。片方だけでは根拠不足。

17 室町幕府成立から応仁の乱までの年数

1467 − 1338 = 129年

18 応仁の乱のきっかけ

正解 b。8代将軍足利義政の後継ぎ争いをめぐり、細川氏・山名氏などの守護大名が対立し、戦乱が広がった。

19 応仁の乱後に広がった風潮

下剋上。実力のある者が上の身分の者を倒して地位を奪う風潮が広がり、戦国時代へ向かった。

20 資料Dと資料Cを組み合わせた読み取り

資料Dの数値をそのまま読み取ると、新恩給与は「約80件」(元寇前)から「約10件」(元寇後)へ減少している。

答え:約80件から約10件に減少した。

根拠の示し方:資料Dで新恩給与の件数が約80件→約10件へ大きく減っている、という数値を根拠に、 資料Cの元寇(防衛のための戦い)と組み合わせる。御家人は幕府のために防衛戦を戦ったにもかかわらず、 外国との戦いでは新たな領地が得にくく、十分な恩賞(御恩)を得られなかったため、幕府への不満が高まったと説明できる。

答え:資料Dで新恩給与が約80件から約10件へ大きく減ったことから、防衛の戦いに参加しても十分な恩賞が得られなくなったとわかる。

⑧ 確認テスト 解説

  1. 十七条の憲法(604年、聖徳太子)
  2. 平安京(794年、桓武天皇)
  3. 正解 a(平氏)
  4. 元寇(文永の役1274年・弘安の役1281年)
  5. 足利尊氏(1338年、室町幕府)

⑨ 完全解説

以上が第2章の全問題の解説です。間違えた問題は年表に書き込み、前後の出来事とつなげて解き直してください。

次のステップ

確認テストで80%以上取れたら、第3章「資料の読み取り」に進みましょう。

中1実力アップ講座 — 中1向けの学習サポート

目次